とある主婦の購入品

雑貨大好き主婦が購入品をご紹介

被災されたみなさまへ。私の経験を語らせてください。

1月1日。

まさかこんな日に地震がくるなんて。

 

私は実家の四国にいましたが、それでも身体に感じる揺れがありました。

 

東日本の震災で、親戚の家が半壊し、水もなく、ガソリンもなく、動けないということで、水とガソリンを積み込み、震災の次の日に福島へ行きました。

 

ガソリンもセルフのお店の人に相談したら、本当はダメだけどと積み込みを許可してくれました。小さい我が子は四国から両親が関西まで迎えに来てくれて預かってくれました。

 

目を覆いたくなる光景。高速は途中で降ろされ、途中震度5強の地震に襲われました。5でも立ってられないほど。街灯の下に居たのですが、落ちそうで這いながら車に戻りました。誰かの車が津波でひっくり返り道を塞いでいたり、道路に畳があったり。19時間かかりました。

 

親戚の家に着き、ここは危ないから取り敢えず関西に行こうという話になり、行きたくないという年寄りの説得、用意する間に何度も揺れました。1人で運転したので正直少し休みたかったですが雨が降り出したのですぐに帰ることになりました。原発のこと、放射能の事、よく分からなくて、雨に当たるとヤバイとか、服についたら危険とか。スエットを着ていき、家に入る前に脱ぎ捨てました。

 

帰りには行きに通れなかった道が通れるようになっていて、日本て凄いなと思いました。

 

当時の我が家のマンションで親戚には住んで頂き、落ち着いてから我が子を両親に連れてきてもらいました。1週間近く会っていなかったので一歳に満たない末っ子は母から離れず、私が抱くと泣きじゃくり、辛かった、、、

狭いマンションで人が増え、ストレスも凄かった。怖かった体験を思い出してしんどい時もありました。

でも日を追うことに笑ったこともたくさん増えました。

 

被災されたみなさまへ

今はバタバタして支援が回っていないと思います。でも落ち着くと、必ず救済があります。

親戚も暫くして、お見舞金がありました。関西でも被災者は無料で数年家を借りられたり、最低限の家電を頂けたり、ボランティアセンターで食料やタオルなどの日用品を頂けました。

優しさに触れ、親戚は故郷を離れ、こちらで永住することになりました。

久々に東北に行くと、だいぶ復興され驚いたそうです。

生きているとまた笑える日が来ます。辛くても辛くても関係なく絶対明日がきます。1日1日過ぎ去ると身体も心も傷が癒える日がきます。

とにかく将来を不安がらずに今を生きてください。

早く余震がなくなり、みなさまが元気になれますように。